オオカミの遠吠え通信

限りなくブラックに近いグレー。

臓器移植について考えてみた

臓器移植手術の為、海外へと渡航せざるを得ない現実がある。
日本国内でも(条件さえ満たせば)手術は可能な筈だが、現状は厳しい。
仮に「脳死状態」の患者がいたとしても、大半が臓器摘出には消極的であり、病院側でも意思確認すら行わないとか。
というか、確認をされること自体を嫌がる家族は少なくないと思うが。
私自身、臓器摘出が必要なことは重々承知しているものの、いざその場に居合わせたら「まだ生きているじゃないですか!」と怒鳴りつけていそうな気がする。
あくまで仮定の話ではあるが、少なくとも肉体に温もりがある状態では「死」を認識するのは厳しい。
「いや、私は大丈夫。」と言い切るだけの図々しさが私にはないのだ。
こういう考え方をしているからか、テレビ等で渡航費用の寄付を求める告知を見る度複雑な気持ちになる。
例え数千円であっても、何もしないよりは多分マシだと思う。
目標額を考えると微々たる金額だが、やがてそれは大きな金額となり、彼らの力となろう。
人々の善意によって生かされた命は、いつか大輪の花を咲かすことがあるかもしれない。
全ては可能性に過ぎないものの、それを否定することは可能性そのものを否定することに繋がる。
解っている。
それぐらい、解っている。
けれど、考えて欲しい。
あなたの大切な人が脳死状態に陥った時、これで生かされる命があるならば…と快く臓器を提供出来るだろうか。
臓器移植手術そのものには賛成だけど、だからといって大切な人の身体に傷をつける訳にはいかない。
そう考えることはないだろうか。
それ以前に、あなた自身がドナーカードにきちんと記入を行っているだろうか。
私には迷いがある。
それ故カードは未だ空欄であり、意思表示は行っていない。
そんな私がいくばくかの寄付を行うこと。
それは「お金で(他人の)臓器を買う」ことであり、「自らの臓器を提供する意思は欠片もない」ことになる。
当事者にとっては腹立たしい理屈であることは百も承知。
けれど、その点が(少なくとも自分の中で)クリアになるまではとてもじゃないけど賛同出来ないのだ。
考え過ぎだろうか。
それとも、当然の行動だろうか。
結論は出ないけれど、この手の告知を見る度複雑な気持ちになる。